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デザインとは、そもそも何か?に立ち返ってみる

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新規事業創発やDX界隈では、重要だと思いつつ、何かと捉えどころのない「デザイン」というものについて、扱いあぐねているのではないでしょうか。Octo Knot(オクトノット)では、「デザイン」についてしっかりとアプローチしていくことで、実体として捉え、新規事業開発やDXに活用できる状態にしていきたいと考えています。

デザイン思考というけれど

金融領域や、システム開発の業界でデザインといえば、デザイン思考(Design Thinking)を指して話していることが多いかと思います。このデザイン思考という言葉は、出回り始めてから、かなりの時間が経ちました。しかし、日本全体としては未だに理解が進んでいないように思います。
デザイン思考は「デザイナーのように考えること」「デザインの手法」などと説明されることが多いのですが、本質的な説明にはなっていないように思います。実態としては、急速に変化する世の中への適応が難しくなってきた中で、保守的な仕事に従事するビジネスパーソンが、新しいものを生み出す創造力豊かなデザイナーの言語や思考を理解するために開発されたメソッドです。

つまり、デザイン思考はデザインそのものではなく、デザインを理解するための手法のひとつ、というわけです。これをビジネスのフレームワークとして捉え、だれでもデザインができるようになるフレームワークだという誤解が広まってしまったところに、捉えどころのなさを生み出した大きな要因があるように思います。
加えて、「デザイン」という言葉が「色や造形を指す和製英語」になっていることも、足を引っ張っているように思います。経営や事業などのビジネスから遠い、関連性が見いだせない、と感じさせてしまい、自分事として受け入れる事を難しくさせているように思います。
しかし、本質的なデザインとは、まさに経営や事業を生み出す営みそのものではないでしょうか。

デザインは「計画」であり「設計」ではない

デザインを経営や事業を生み出す営みそのものだ、と考える理由が3つあります。
1) デザインの語源は「デッサン(Dessin)」「示す(Designare)」であること
2) デザインの正確な意味は「計画」であり、「設計」ではないこと
3) 近代デザインは、経営を改善するために生まれたということ


まず語源から捉えてみます。
デッサン(Dessin)とは美術などで行う、あのデッサンです。能力を高めるときにも行いますが、アーティストが「何を創るのか考えるときに行う行為」でもあります。美術館などに行くと、素描として、本番前に描かれたスケッチなどを見ることがあります。つまり、作品を創るための、計画を練っている状態です。
もうひとつの「示す(Designare)」はラテン語で、計画したことを周囲に伝え、指示することを指す言葉です。指し示すこと自体を設計と捉えることも可能ですが、指し示された計画を具体化する事を「設計」と呼んだほうが自然のように思います。
いずれにしても、作りこみ段階ではなく、計画段階を指す行為がデザインの語源です。

次に意味を捉えてみます。
語源のとおり、計画段階を指す意味なのですが、設計とは何が違うのでしょうか。
計画とは「何を創るのか(実現するのか)」といった要件を決める工程です。設計とは、要件に沿って「どうやって作るのか(実現するのか)」を考える工程です。その設計に沿って、商品やサービスを組み立てていくわけです。
何を創る(実現する)のかが分からなければ、設計のしようがありません。つまり、経営や事業がそれを計画(=デザイン)し、それを受けてはじめて設計が可能になります。まさに、経営や事業を生み出す営みそのものではないでしょうか。

最後に近代デザインが生まれた経緯です。
デザインという行為そのものは、有史以前から人類が行ってきたことですが、現在においてデザインと呼ばれているものは「近代デザイン」として括られます。
近代デザインが生まれた経緯は、まさに社会課題と経営課題の解決の歴史そのものです。
19世紀に始まった産業革命によって、人間社会は大きく変化し、ヨーロッパを滅亡寸前まで追い込むほどの混乱を引き起こしました。

それまでのモノづくりや産業構造は、人間にとってどうなのかという目線で考えられてきました。ところが、産業革命によって、経済にとってどうなのかという基準で社会が再構築されていきます。工場を手に入れた一部の資本家の都合で、世の中のモノや仕組みが作り変えられていきました。
経済中心の社会に変わっていく中で、粗悪なモノや仕組みが蔓延し、変化に適応できない人々は排除されていき、ヨーロッパ全体として文化が衰退していきます。結果として、革命運動、世界恐慌、世界大戦といった不幸が100年以上にわたって続いていくことになりました。
こういった混迷の状態を解決するために、産業革命の初期から議論され続けてきたのが「デザイン」です。

経済中心ではなく「人間中心の社会づくり」がデザインの目的

VUCAと呼ばれるような未来の予測困難な時代になり、日本はヨーロッパの産業革命の頃と同じような状況に陥っているように思われます。ただ、今回の場合には、世界の価値観や生活スタイルの変化に対して、日本の経済社会が適応できずに苦しんでいる状態という違いがあるように思います。
世界経済フォーラムなどでも「ステークホルダー資本主義」「リセット」といったキーワードが飛び交い、経済中心の世の中から、人間中心の世の中にしていこうという動きが活発化しています。しかし、今の日本の金融領域やシステム開発業界が、この流れに対応するのは至難の業です。だからこそ「デザイン」という言葉に改めて期待感が高まっているように感じます。

デザインに向き合う上で重要なのが、人間中心というのは「消費者」の目線という事ではないという点です。人間中心を「商品を使ってくれる(買ってくれる)人の使い勝手」のように捉えてしまうのは、経済中心的な考え方です。人間中心とは、あくまで人間社会の中で価値のあるモノゴトを提供する事であり、それを円滑に機能させ、持続可能にするのが経済です。
数による消費と生産に裏打ちされた現在の日本の社会システムは、少子高齢化、情報化多様化の波に適応できず、新しいモノゴトが生み出せない「失われた○○年」という状況に陥り、既に30年を超えました。
作り上げた経済社会を中心にするのではなく、人間社会を中心にすることで、変化に適応するだけでなく、先回りをも可能にしていくことができます。
こうした「変化への適応」と「先回り(バックキャスティング)」こそが、我々のような新規事業開発やDX従事者に求められている事であり、そこで必要とされているのが「近代デザインの考え方で行う創造計画という行為」と考えれば、「デザイン」に捉えどころが見えてくるのではないでしょうか。


※本記事の内容には「Octo Knot」独自の見解が含まれており、執筆者および協力いただいた方が所属する会社・団体の意見を代表するものではありません。

高校~大学でデザイン、教育、美術学を専攻。卒業後は、大手印刷会社、広告代理店、制作会社の起業、コンテンツプロバイダーでのインキュベーションマネジャー、SIerでのデザイン事業と部門の立ち上げなどを行い、2020年よりNTTデータ金融事業推進部に所属。
日本のビジネスにおいて機能するビジネスデザインをモットーに、単に手法として海外のデザインフレームワークを輸入/伝達するのではなく、日本人が理解できる表現に置き換えて導入するスタイルを実践している。
立命館大学映像学部にて情報デザインの年度講師、著書『創造力とデザインの心得』を執筆するなど、デザイン啓発活動も積極的に行っている。

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