地域の財産である職員の”愛する気持ち”
私たちが人を愛する気持ちはどのように生まれるのでしょうか。例えば恋人との関係を思い浮かべると、嬉しいことや悲しいこと、さまざまな経験を通してお互いを知り、徐々に心が満たされ、ある時ふと愛している自分に気づき、お互いにとって良い未来に向かって、苦楽をともにしながら一緒に歩んでいきたい、と考えるようになるのではないでしょうか。
この気持ちは、地域金融機関の職員が顧客に対して抱く感情にも似ているのかもしれません。
地域貢献に情熱を抱いて入行する地域金融機関の職員には、顧客のことをより深く知りたいという方も多いはずです。そして、相互理解を通して顧客に対する愛情が徐々に芽生え、お互いにとって良い未来に向かって、さまざまな取り組みをしながら一緒に歩んでいきたい、と考えているのではないでしょうか。
このような職員が抱く“愛する気持ち”は、顧客にとっても地域にとっても何よりも大切にしなければならない財産だと思います。経済合理性のみが追及されてしまうと、特定の地域の未来を考える必然性が失われてしまうからです。
ところで、DXの取り組みを進める中で、人間の作業をITに置き換えることに関して、「費用削減効果はあるが、人間の気持ちの入り込む余地が徐々に減り、無機質な世界が作り上げられてしまう」という指摘を受けることがあります。
この指摘は可能性として否定できないものです。したがって、特に地域金融機関のDXに取り組む際には、大切な財産である職員の気持ちが失われない、さらに愛が深まるような仕組みが重要になります。これはDX推進に参画するIT企業なども明確に意識すべきポイントではないでしょうか。
私はこのように考え、地域金融機関のDXを進めるプロセスに、職員の気持ちを尊重したプロセスを追加することを思いつきました。
通常DXプロセスでは、関係者との対話を通して向かうべき良い未来を定め、バックキャストでどのような取り組みが必要か考えます。この、より良い未来を、顧客と地域金融機関さらには職員自身にとっても良い未来、と定めると、職員自身も顧客と一緒に歩んでいきたい気持ちが強くなり、顧客に対する気持ちをさらに深めるプロセスになるのです。
職員が持つ唯一無二の価値観の可能性
顧客、地域金融機関、職員の三者にとって良い未来を定めたとして、その未来の実現手段であるアイディアはどのように生み出せば良いのでしょうか。この時、最も大切なのは職員一人一人の価値観の尊重です。
価値観は他人から押し付けられるものではなく、一人一人が持つ唯一無二の存在です。価値観が唯一無二であれば、その価値観に基づいて生み出されるアイディアも唯一無二なものになります。月並みな言い方ですが、複雑な課題を解くには、この多様な価値観が重要です。一方で、組織に所属する以上は、収益目標の達成など、地域金融機関の経営上必要な価値観も尊重しなければなりませんので、うまくバランスを取る必要があります。
今回、私が考案したDXプロセスの研修を鳥取銀行に提案したのは、職員の皆様がこのような課題に現に取り組まれていたからです。審査部与信企画室の室長である福田さんは「うちには優しい気持ちを持つ職員が多い」とよくおっしゃっており、職員の気持ちに寄り添う教育に熱心に取り組まれています。
「商品のお買い物では、ネットショッピングではなく対面で相談しながら買いたいニーズがあるように、金融にも対面で相談しながらさまざまな選択肢から選びたい、というニーズがある」と、職員一人一人の価値観を活かした多様な金融サービスの提供を志向されています。
このような考え方から、職員の価値観を重視したDXプロセスの取り組み意義にも共感していただき、研修を開催することになりました。
顧客理解をさらに深める「業務フロー」
研修の受講者は、融資業務に関する必修研修を受講中の2年目職員全員を対象としました。財務分析などを通して顧客理解を深める融資業務を学ぶ研修と、顧客理解に基づいてともに歩むべき道を定める、今回のDXプロセスは、親和性が高いと考えられたからです。
研修コンテンツのカギとなるのが「業務フロー」です。「業務フロー」は、顧客の対象業務の全体像と、解決すべき問題箇所を特定するために、IT企業でよく作成されます。一方で、地域金融機関の職員は、顧客の商流の全体像と、資金繰り悪化を招いている問題箇所を特定するために、「商流図」を作成しています。この「業務フロー」と「商流図」を組み合わせると、資金繰り悪化を招いている「業務上の」問題箇所を特定できるのです。
私のようなIT企業に所属する社員は、日々様々な「業務フロー」を作成しているため、他業界と比較すると「業務フロー」の作成経験は多いと思います。このような背景もあり、資金繰り悪化を招いている「業務上の」問題箇所を特定可能な「業務フロー」について学べるようなコンテンツを組み込むことにしました。
つまり、IT企業が得意とする「DXスキル」と地域金融機関職員のスキルを融合させることで、顧客の幸せな未来を考える人財を育成する、というのがこの研修の肝になっているのです。
未来創造ワークショップの実践
それでは、実際に開催したワークショップの内容を説明します。
アジェンダは以下の通りです。5人1組の5グループで合計25人の職員が参加しました。
1.職員自身が大切にしている価値観を表現
2.鳥取銀行の課題を確認
3.顧客の課題を確認
4.三者にとって良い未来を実現するために必要な取り組み検討
それぞれ、どのようなワークをしたのか、どのような取り組みアイディアが生まれたのか、見てみましょう。
アジェンダは以下の通りです。5人1組の5グループで合計25人の職員が参加しました。
1.職員自身が大切にしている価値観を表現
2.鳥取銀行の課題を確認
3.顧客の課題を確認
4.三者にとって良い未来を実現するために必要な取り組み検討
それぞれ、どのようなワークをしたのか、どのような取り組みアイディアが生まれたのか、見てみましょう。
1.職員自身が大切にしている価値観を表現
本ワークでは参加者全員に、事前課題としてモチベーショングラフを書いてもらいました。モチベーショングラフとはこれまでの人生を振り、印象に残っている経験ごとに、ネガティブな気持ちとポジティブの気持ちを折れ線グラフで表現するものです。
当日は、このモチベーショングラフに基づいて自分が大切にしている価値観を冒険、安心、計画性などのキーワードで表現し、グループ内でシェアをしました。
音楽が好きな職員やテニスが得意な職員などのこれまでの活躍の話、コロナ禍で思うような大学生活を送れなかった職員の話、そして銀行入行後にワクワクした経験の話など…、職員一人一人のさまざまな錯綜した気持ちに基づく数々の価値観に接し、私自身も胸に熱いものがこみあげてきました。
2.鳥取銀行の課題を確認
鳥取銀行の課題は、福田さんにお話しいただきました。
銀行に求められる支援業務の多角化や、少ない時間で多くの成果を出す生産性向上の必要性、アンケート調査結果など、多面的に鳥取銀行の状況について説明された上で、顧客目線を意識した取り組みの必要性をお話しいただきました。顧客と共存共栄する銀行の姿。基本的なことであり、忘れてはいけない重要な価値観について、あらためて振り返る機会になったと思います。
銀行に求められる支援業務の多角化や、少ない時間で多くの成果を出す生産性向上の必要性、アンケート調査結果など、多面的に鳥取銀行の状況について説明された上で、顧客目線を意識した取り組みの必要性をお話しいただきました。顧客と共存共栄する銀行の姿。基本的なことであり、忘れてはいけない重要な価値観について、あらためて振り返る機会になったと思います。
3.顧客の課題を確認
ここではまず、資金繰り支援に役立つ「業務フロー」とはどのようなものかを説明しました。
まず、企業の資金繰りを抽象化したイラストを用いて企業の資金繰り把握に必要な要素を説明しました。私は企業の資金繰りを、蛇口から水路をたどって桶に水を流すイメージで理解しており、イラストはこのイメージに基づくものです。
水はお金、水を流す蛇口は入金をする顧客、水路は商流、水路の長さは運転資金回転期間、桶は銀行口座です。例えば、水路が凸凹して水の流れが悪くなり桶に水が溜まりづらくなる状況は、商流の流れが悪く、資金不足を招いている状態。他には、水路が長く桶に水が溜まりづらい状況は、運転資金回転期間が長く、銀行口座にお金が貯まりづらい、といったイメージです。
この、企業の資金繰りを抽象化したイラストで表現した要素をすべて業務フローに詰め込めば、一目で流れが悪い箇所、つまり資金繰りの問題点を可視化できる業務フローが完成するのです。
業務フローの説明の後に、さまざまな資金繰り上の問題が埋め込まれた仮想企業の業務フローや事例集を読み解いて、グループごとに顧客の課題を考えるワークを実施しました。私が埋め込んだ問題以外の問題に気づいた方も多く、想像力の高さが伺えました。
なお、今回の事例集はあえて、財務情報などの数字情報は記載しませんでした。数字情報を多く記載すると、「一つの正解」に落とし込みやすくなりますので、今回のワークショップの目的である職員の多様な価値観を活かした取り組みアイディアが生まれにくいからです。
ただし、明確な数字情報が記載されていない、ということは抽象的な情報に基づいて、これまでの経験や想像力に基づいて顧客の課題を特定する必要があり、参加者によって取り組みやすさが異なってしまいます。そのため、グループに1人以上は法人の顧客を担当されている職員を含めて知識レベルを平準化した結果、多くの課題に気づかれたのだと思います。
終了後のアンケートに「経験のある同期たちの考えを知れて勉強になりました」と書かれた参加者もいらっしゃいましたので、実際に知識不足をカバーし合ったようです。
4.三者にとって良い未来を実現するために必要な取り組み検討
いよいよ今回のワークショップのハイライトです。
今回の顧客は仮想企業であり、対話を深められないため、仮想企業である顧客の悩みを解決することが三者にとって良い未来であるとし、その未来を実現するために必要な取り組みを職員の価値観に基づいて考えるワークにしました。
このワークでは、先ほど考えたさまざまな顧客の課題に対して、自分の価値観をきっかけにして発想力豊かなさまざまなアイディアを出してくれました。顧客の課題が一つではないのと同じく、課題の解決方法も一つではありません。だからこそさまざまな職員の多様な価値観に基づいて考える必要があります。参加者の職員の皆さんも、この多様な価値観の重要性を感じられたようで、終了後のアンケートに「自分では全く考えつかないような提案が聞けたので参考になった」や「多様な価値観からさまざまな提案が生まれて面白かった」と書いてくださった職員もいました。
グループごとに考えた取り組み内容は、全体に発表していただきました。研修に参加されていた金融機関の上席者の方々も感心するような発表もあり、参加者の皆さんも三者にとって良い未来を実現する手応えを感じたと思います。
参加者へのアンケートでは、ワークショップ前は25人中23人が「三者にとって良い未来を考えることは難しい」と答えていましたが、ワークショップ後は25人中21人が「三者にとって良い未来を考えられそうだ」と答えており、前向きな考えに変わった様子が窺えます。
終わりに
私個人の考えではありますが、人や組織は、目に見える範囲で経済合理性を追求する生き物だと思います。目に見えない範囲で起こっている不幸な出来事には目をつぶってしまいますし、組織が追及する経済合理性を前にすると自分の気持ちに蓋をしなければならないこともあるのだと思います。このことに異を唱えても、DNAに刻まれた人の思考パターンを変えることは難しいと思います。
私は、このDNAに刻まれた思考パターンをずらすことが、DXの目的だと考えています。例えば、従来業務よりも新たな業務のほうが明らかに楽であるとDNAのレベルで人が判断をした時、人は行動を変え、社会は変わるのだと思います。
だからこそ、我々はより良い未来を描くのと同じくらい、多様な価値観を有する人々の行動を変えるための手段を考えなければならないのだと思います。手段を考えるのはもちろん、多様な価値観を有する人々と一緒に取り組んでいくことが大切です。
地域金融機関には、地域を愛し、顧客を愛している職員が多く所属しているため、より良い地域の未来を描くには最適な組織です。このような地域金融機関の職員と、より良い地域の未来を描き、人々の行動をより良い方向に変えられるITの仕組みを実現できるような、そんなDXプロセスをもっともっとブラッシュアップして、私たちIT企業が真に社会に役立つ存在になれればと思います。
最後になりますが、今回の研修について賛同いただき、開催のきっかけを作ってくださった審査部与信企画室 室長 福田さん、研修プログラムを設計するに際してさまざまなアドバイスをくださった審査部与信企画室 副調査役 山田さん、鳥取西支店 支店長代理 田中さん、そして研修プログラムに参加いただいた鳥取銀行の職員の皆さんにあらためて、感謝申し上げます。
【この記事を書いた方】
西山 彰人
2004年に新卒としてNTTデータに入社。複数の電子マネーの携帯アプリ開発や、当社初の免税事業の立ち上げに従事した後、2016年12月に金融分野に異動し、中小企業の課題に着目した地域金融機関向けサービスの企画に従事。現在は地域金融機関による、中小企業向けの資金繰り支援を円滑にするサービスの企画に携わる。
※本記事の内容は、執筆者および協力いただいた方が所属する会社・団体の意見を代表するものではありません。
※本文および図中に登場する商品またはサービスなどの名称は、各社の商標または登録商標です。
※記事中の所属・役職名は取材当時のものです。
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