そもそも「CX」とは何なのか
(1)評価スコープ
「顧客満足」は商品・サービスを利用してからがスコープであるのに対し、「CX」は商品・サービスの認知からお付き合いが終わるまでの全ての接点を対象として利用者に評価してもらうこと。
(2)目指すゴール
「顧客満足」は利用者の期待値を満たすことがゴールであるのに対し、「CX」は利用者の期待値を超えた終わりなきゴールを追いかけ続けること。
デバイスの多様化などで利用者との接点が膨大かつ複雑になっている上、商品・サービスのスペックでの差別化が難しくなっている昨今。ライフネット生命では、このCXこそが、これからの金融サービスの競争力の源泉になると考え、積極的に取り組んでいると言います。
取り組みにおいて、伊藤さんは、商品・サービスに関わる個々のプロセスだけでなく、利用者のすべての体験シナリオ、いわゆるカスタマージャーニーをしっかり見ることを大切にしているそうです。
例えば、保険契約はおおまかに、認知、比較・検討、申込・契約、請求と、利用者の体験が繋がっていきますが、これらの体験のみならず、その間に発生する問い合わせや保全手続き、メールやレターの受信等、全ての顧客体験をよりよいものとすることを追求していく、というイメージです。
保険は契約時や請求時が重要だと考えられがちですが、伊藤さんは敢えて「契約期間中のタッチポイントをいかに作り出して期待を超える体験につなげるか」を強く意識していると言います。なぜなら、生命保険は加入時が最も熱が高く、契約期間中には熱が冷めてしまうという特性を持っているためです。
たしかに、加入時は、必要額を試算したり、色々な保険を比較検討したりと、一生懸命に保険を選んだのに、契約後には内容をすっかり忘れてしまった、という経験のある方も多いのではないでしょうか。この熱が冷めやすい期間にしっかりと利用者の体験価値を高め、接点を温めておくことで、請求が発生したときにもストレスが少ない状態を作ることができると考えているそうです。
CX向上のカギは「データ活用」と「課題ドリブン」
スマートフォンの普及とともに、利用者のインターネット上での情報収集や申込における行動に変化が生じたことも背景と考えられますが、このことが同社におけるCX強化の一つのきっかけとなりました。このとき、同社はスマートフォン対応に注力したことで新規契約数がV字回復し、スマホファーストでの顧客体験構築の重要性を再認識したと言います。
伊藤さんによれば、ライフネット生命の契約者は20~40代が全体の約8割と、業界平均に比べて若年層が多く、また、初めて生命保険に加入されるお客さまが多いという特徴があるそうです。この特徴からも、スマートフォンを通じて保険を分かりやすく、便利な体験として届けることが、同社にとって重要なポイントであることがうかがえます。
データ活用は金融業界でも注目度の高いテーマですが、どうすればデータを有効にビジネスに結びつけることができるのでしょうか。私たち編集部も日々頭を悩ませているところですが、伊藤さんは「課題から入ることを大切にしている」と言います。企画をしているとツールなどの手法論から考えてしまうことに陥りがちですが、そうではなく、データを活用して「利用者の課題を解決し、心地の良い体験を届けていくこと」を目的に置くことを常に心掛けているそうです。
では、ライフネット生命では、実際にどのようにデータを活用しているのでしょうか。具体例として、ウェブサイトにおける利用者の体験改善があると言います。酒井さんによれば、利用者の行動データ分析によって、利用者が、困っている・悩んでいるプロセスを特定して、サイトを分かりやすく改修したり、適切なタイミングでアナウンスしたりするといった改善策を実施したそうです。それにより、利用者の理解促進やストレス軽減につながり、結果として、解約率の低下などの成果が出てきたと、酒井さんは言います。
もちろん、課題ドリブンは簡単なことではなく、試行錯誤を繰り返しながら、地道に改善を重ねていると言います。ライフネット生命では、このような課題発見と仮説構築を担う専門家として「CXデザイナー」の育成に力を入れており、毎朝30分の勉強会を開くなど、スキル強化に積極的に取り組んでいるそうです。金融業界全体としても、今後はデータ分析技術だけでなく、このような人材育成も両輪で求められてくるのかもしれません。
「経営のコミット」と「巻き込み」がよりよい活動を作る
まず、経営陣のコミットですが、CX向上の取り組みは先の章でも書いた通り、ゴールがない活動となるため、中長期的な活動を経営レベルで合意しておくことが重要になります。近視眼的に「予算を付けて、いくら売上が上がったのか?」という目線だけになってしまってはダメだということです。とはいえ、何年も先の話ばかりしていては経営陣も納得できません。伊藤さんと酒井さんは、短期目標をしっかりと定めてすぐに結果を出しつつ、中長期で取り組むことを経営陣にも理解してもらうように働きかけていると言います。
また、社内SNSで「顧客体験の革新サロン」というチャンネルを立ち上げ、成功も失敗も含めて活動を積極的に発信し、常時経営からのフィードバックを受けられる関係を作っているそうで、このような工夫も、経営との距離を縮めてスピード感のある取り組みを実現することへとつながっているのかもしれません。
ただ、本業で忙しい他部署を巻き込みにくい、というのもよくある悩みではないでしょうか。お二人がうまく他部署を巻き込めているのには、理由があります。それは、CX推進組織が「他部署の課題を解決できる実行組織」であることです。聞きっぱなしで終わらず、他部署の課題解決を実現し、さらに顧客視点で考えることを広めていくことを大事にしていると言います。そうすることで、本業で忙しい他部署の人にとってもむしろ「ありがたい」存在となり、Win-Winの関係性を築いて、CX向上への巻き込みを実現することができているのです。
顧客体験の革新にホームランはない!
「顧客体験の革新にホームランはない」と伊藤さんは言います。CX向上はトライアル・アンド・エラーの連続であり、仮説構築と課題解決を地道に積み重ねていくことが重要であるためです。また、取り組みを進める上では、社外のパートナーの存在も欠かせず、その力なくして活動を推進することはできなかったと言います。専門家も巻き込みながら、人材育成で自社のスキルも高めていく、これは、保険に限らず、他の金融プレイヤーにおいても必要となる目線かもしれません。
酒井さんはCX向上を通じて「いまを生きることを楽しんでもらいたい」と話します。保険は、将来のネガティブな出来事に備える商材であるため、できるだけそこに使う時間やお金をシンプルにしたいのだと言います。データ活用では商品のパーソナライズがテーマとなることも多いですが、ライフネット生命では、逆に商品をシンプルにして「利用者が自ら選べる」ことを目指しています。その代わり、利用者のジャーニーに目を向け、行動や気持ちに寄り添うところでのパーソナライズに軸足を置いているそうです。
金融サービスは、企業や個人の「やりたいこと」を叶える手段であるとも考えられるのではないでしょうか。手段にかかるストレス、フリクションを限りなく少なくして、利用者が本来の目的に力を注いでもらえるようにすることが、保険に限らず、これからの金融のCXを考える上で、大切な観点になってくるのかもしれません。
ライフネット生命保険株式会社
営業本部 営業企画部 CXデザイングループ グループリーダー 伊藤 裕樹さん
外資系生命保険会社にて、生命保険のダイレクトマーケティング業務を経験したのち、ライフネット生命へ。データ分析プラットフォームの導入などを手掛け、2020年にCXデザイングループ長に就任。現在はCXデザインにおけるコミュニケーション統合の推進に取組む一方で、データサイエンス推進室長を兼任し、分析基盤の構築にも従事している。
ライフネット生命保険株式会社
営業本部 営業企画部 CXデザイングループ エキスパート 酒井 宏平さん
前職でファイナンシャルプランナーとして、コンテンツ制作やライター業務に従事したのち、ライフネット生命へ。入社後は、データ分析プラットフォームの導入を発案し、データ活用を核としたCXデザイン活動立上げの中心的な役割を担う。2020年からはCXデザイングループに活躍の場を移し、現在はLINEサービスの開発などに従事している。
(ライフネット生命保険株式会社)
https://www.lifenet-seimei.co.jp
※本記事の内容には「Octo Knot」独自の見解が含まれており、執筆者および協力いただいた方が所属する会社・団体の意見を代表するものではありません。