「金融が変われば、社会も変わる!」を合言葉に、未来の金融を描く方々の想いや新規事業の企画に役立つ情報を発信!

金融が変われば、社会も変わる!

コラム

「日本人は金融リテラシーが低い」はいつから? どうして? どうする?

画像

かつては誰もがそろばんではじけた利息計算。そんな庶民の知恵は国立国会図書館のデジタルコレクションの中にしか残っていないのでしょうか?おかねと向き合い、生活を守る知恵は年貢を納める村人や、証券取引所で活躍する人たちを支えてきました。横内美保子さんが歴史に翻弄される金融リテラシーを紐解き、今のあなたに問いかけます。




「10年以内に国民の給料を倍にする」
1960年(昭和35年)12月、池田内閣は「国民所得倍増計画」を閣議決定しました。「令和版」ではなく、「元祖」の方の所得倍増計画です。*1

「・・・で、10年で倍にするのにはどうやったらいいか。1年にナンボ伸ばしたらいいか」
会見に臨んだ池田勇人首相(当時)は、記者団にこう問いかけます。*2
「10年で倍にするのには、7.2%。こういうことなんです」*2

首相が述べた「1年に7.2%」という数値はどうやって弾き出されたものなのか。金融パーソンは別として、この問いに即座に答えられる日本人は今、どれだけいるでしょうか。

元金が2倍になる期間を概算できる「72の法則」というものがあります。*3-1
72 ÷ 金利 ≒ お金が2倍になる期間 (年)
これを応用すれば、たちどころにその答えが出る。
72 ÷ x(%)=10(年)ですから、x = 72 ÷ 10 = 7.2(%) ですね。

池田首相が言っていたのは、これです。

お恥ずかしい話ですが、筆者がこの法則を知ったのはつい最近のこと。家族にもきいてみましたが、全滅でした。いやはやこんなに便利な方法があろうとは・・・。

一方、1920年代生まれの、当時40代の人々にとって「72の法則」は決して特別なものではありませんでした。
中には、首相の言葉を待つまでもなく、自分でサクっと計算して「ほー、年7.2%のアップか」と明確なビジョンを描いた記者もいたはずです。

それはなぜでしょうか。

FinTech時代にますますその重要度を増す金融リテラシー。金融教育にフォーカスして時代を遡ってみると、大変興味深い状況がみえてきます。

金融リテラシーが高かった江戸時代の庶民

江戸時代には、村で暮らす「百姓」と呼ばれる人々が人口の8割を占めていました。*4:p.6
社会の圧倒的マジョリティーであった彼らはどのような教育を受けていたのでしょうか。

庶民向けの先駆的なテキスト『塵劫記(じんこうき)』

日本で本格的な算数・数学教育が展開されたのは江戸時代からです。*5:p.117
その教育に使われたのが、吉田光由による『塵劫記』。1627年に発行された、庶民向け数学教育の先駆的テキストです。

早速、実際の『塵劫記』をみてみましょう。*6-1
何度も改訂された『塵劫記』は、寛永11年(1634年)版が最も普及しました。図2の『新編塵劫記』はその内容に近いものです。*6-2
ここは、ネズミ算の部分。問題は、以下のようなものです。
正月に父ネズミと母ネズミが子どもを12匹(オス6匹、メス6匹)産みます。
親と子を合わせると7つがい、14匹になります。
2月には、親も子どもも1つがいにつき12匹ずつ産むので、生まれた子どもは7 x 12で84匹。それに親の7つがい14匹を足すと、全部で98匹になります。
このように、月に1度ずつ、親、子、孫、ひ孫・・・と、すべてのネズミが1つがいにつき12匹ずつ産むと、1年後には全部で何匹になるでしょうか。
答えは、
27, 682, 574, 402 = 2 × 7 × 7 × 7 × 7 × 7 × 7 × 7 × 7 × 7 × 7 × 7 × 7 匹
そう、2 × 7の12乗 匹です。
図1の2月の欄を見ると、つがいの数に合わせて7つの枠を示し、それぞれの枠内に12匹の子ネズミを描いていますね。

これは、利息にも利息がかかる複利計算、金融リテラシーそのものです。
複利でお金を借りて借りっぱなしにしておいたら、どうなるのか。あるいは、貸すときに複利にするとどれだけのメリットがあるのか。
元利合計の計算法だけでなく、ネズミの数が爆発的に増えていくイメージも加わり、実感を伴う有益な学びが生じたのではないでしょうか。

『塵劫記』は全三巻、いずれもそろばんの利用が前提となっています。
上の巻では、数、単位、面積、体積、重さ、九九、掛け算、割り算と進みます。
その上で、 米の積み上げ問題や両替問題、利息の計算、絹・木綿の売買問題など、実利的な計算技能や金融リテラシーを習得させる内容です。

中の巻では、具体的な事例に基づく実利的な計算が紹介されています。例えば、船賃、升の大きさ、検地、屋根ふき、河川工事の計算などです。

下の巻では、上でみたネズミ算のほか、倍々算、からす算、人口計算などさまざまな応用問題を扱っています。

ベストセラーとなった『塵劫記』は、庶民のための教科書として塾や寺子屋などで広く使われ、日本人の数学リテラシー、金融リテラシーの向上に大きな功績を残しました。

金融リテラシーの必要性

では、なぜ村人たちにはこうした金融リテラシーが必要だったのでしょうか。

当時、納めるべき年貢は、村全体でまとめて納入することになっていました。4:p.47
領主は村に対して年貢の総額を示し、それに基づいて、名主が中心となって、村人たちが自主的に各自の負担額を決めていました。
名主には、領主が課した年貢を各戸に公平に割り当てて徴収する義務があり、そのために高度な計算能力、事務処理能力が必要でした。

一方、一般の村人の方にも、名主が開示した帳簿の記載内容に誤りがないか確認するために、識字力、計算能力が必要でしたし、時には自ら帳簿を作成することもありました。
年貢をめぐっての諍いが生じかねない状況にあって、帳簿は彼らの利害に関わる大切な公文書でした。そのため、公文書をきちんと作成・保存し、必要に応じて公開する必要があったのです。

やがて、肥料を購入して農業生産を増大させようとする動きが生まれます。肥料の売買では文書がやり取りされ、トラブルが起きれば訴訟文書を作成しました。こうした商取引で不利益を被らないためにも、金融リテラシーは不可欠でした。*4:p.147

そこで、村人たちは子どもたちを寺子屋に通わせ、必要な能力を身につけさせました。彼らは自らの生活と権利を守るための金融リテラシーを、主体的・積極的に獲得し、言うべきことを敢然と主張する人々だったのです。*4:p.76

明治期には欧米の進んだシステムが導入され、それらを運用しながら日本は目覚ましい発展を遂げました。それが可能だったのは、寺子屋で培われた庶民の識字率と計算能力の高さという下支えがあったからです。

継承と断絶

明治以降、金融教育はどのような変遷を辿ったのでしょうか。

小学校で行われた本格的な金融教育

幕末から明治にかけては、西洋流の科学技術の必要性が叫ばれ、欧米経済に追いつくための人材養成が急務となりました。*3-1
その流れにそって、算術教育はそろばんを使った商業のスキルから西洋流の筆算のスキル習得へと目標が置き換わり、複利計算もそろばんから筆算へと変化していきます。

1905年(明治38年)に初めての国定教科書『尋常小学算術書』(黒表紙本)が刊行され、3回の大改定を経ながら、その後30年近く初等数学教育に大きな影響を与えました。*5-p.117

この黒表紙本で注目すべきは、歩合算です。
尋常6年生(現在の小学6年生)の最後に学ぶ項目には、歩合、損益、租税、利息、公債株式などの計算が含まれていたのです。
バリバリの金融教育ですね。

もちろん、そうした難しい算術を当時の児童全員がこなせたわけではありません。しかし、クラスのうち1人か2人程度は理解する児童がいて、国全体としてはそれなりのボリュームになっていきました。
新しくできた株式取引所で取引を始めた人たちは、そのような基礎的能力を備え、株式とは何かがよくわかっている人たちだったのです。*3-1

そして訪れた断絶

大正期に大きな変化が訪れます。
そろばんから筆算への流れが急加速し、複利計算には複利表が用いられるようになりました。それとともに、数学は、生活やビジネスに即したものから、科学を理解するための学問へと重点が移っていきます。
そろばんに慣れ親しんだ児童にとって、手間のかかる筆算は精神を鍛錬するものであるというような、精神論的な指導方針も出現しました。

1935年(昭和10年)の『尋常小学算術』(緑表紙本)は、「日常生活を数理的に正しくする」という目標に沿って、自然現象や理科的な内容を広く取り入れるという大幅な改修がみられ、その一方で、金融リテラシーに関わる学習項目は大幅にカットされました。
「金利計算や証券利回りのような計算を教えることは児童にとって身近とはいえない」という強い批判を反映した結果です。

冒頭のエピソードで、「国民所得倍増計画」が公表されたとき、1920年代に生まれた当時40代の人々にとって「7.2%アップ」という数値を弾き出すのはたやすいことだった、それはなぜか、というなぞかけをしました。
その答えがこれです。
彼らは、小学校で金利計算の教育を受けた最後の世代だったからなのです。

復活、そして再びの断絶

戦後、金融教育が復活します。
1947年(昭和22年)の学習指導要領(試案)によって、経済に関する多くの事項が学習項目として取り上げられることになりました。  
例えば、小学校6年生の学習項目には、貯金、貯金申込書、収支勘定、勘定書、領収書が含まれています。
新制中学1年では、利率や手数料、家計の予算・勘定、損益、価格の変化などに関する問題が挙げられています。

ところが、生活算数・数学は、数学教育関係者からの激しい批判に晒されます。
「学力低下の最大の原因は、生活単元学習である」という批判を受け入れる形で、1958年(昭和33年)の学習指導要領が定められ、算数・数学教育は再び大きく転回しました。これは緑表紙本への回帰ともいわれます。
この指導要領によって、金融関係の事例はほとんど扱われなくなってしまったのです。

新たな金融リテラシーを育み磨く

金融リテラシーに関する国内外の調査結果から、日本人の金融リテラシーにはまだまだ向上の余地があることが指摘されています。

こうした状況の中、学習指導要領が改訂され、2020年度から小学校で、2021年度から中学校で、2022年度からは高校で新たな金融教育が始まり、日本の金融教育は新たな展開に入りました。
これまでみてきたように、学校での金融教育は、それぞれの時代背景や教育者たちの考えによってまるで振り子のように極端に揺れ動いてきました。
それは致し方のないことだったのでしょう。
ただ、私たちはこうした歴史から何を学ぶべきか。それを考えることは大切です。

私たちが生きているFinTech時代の金融リテラシーは、計算力があればこと足りるというものではもはやありません。次々に刷新されるシステムに関する知識や理解、デジタルリテラシー、さらには今世界で何が起こっているのか、それが経済に、さらには自分たちの生活や資産にどのような影響をもたらすのか、といった洞察力や分析力―そうした総合的な力が必要です。

その育成をまるごと学校頼みにしていいものかどうか、この辺で立ち止まって考えてみる必要もありそうです。
日本の金融教育の歴史はそれを示唆しているといったらいいすぎでしょうか。


資料一覧
*1
国立公文書館「国民所得倍増計画について」
http://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/s35_1960_03.html

*2
NHKアーカイブス「池田首相が語る 国民所得倍増計画」(放送:1960年)
https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009030458_00000

*3-1
JPX日本取引所グループ 東証マネ部(2021)「【総括編】明治から昭和にかけての日本人の金融リテラシーの変遷(前編)」
https://money-bu-jpx.com/news/article033781/

*3-2
同(2020)「【第5回】江戸時代の決済システム(後編)」
https://money-bu-jpx.com/news/article026947/

*4
渡辺尚志(2021)『いいなりにならない百姓たち』文学通信 電子書籍版

*5
新井明(2017)「経済教育と算数・数学 -算数・数学教育の歴史的検討から-」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ecoedu/36/36/36_116/_pdf/-char/en

*6-1
吉田光由『新編塵劫記』(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3508170/49

*6-2
国立国会図書館「江戸時代の数学」
https://www.ndl.go.jp/math/s2/1.html

*7
金融広報中央委員会(2021)「金融教育プログラム 学校における金融教育の年齢層別目標【改訂版】」
https://www.shiruporuto.jp/public/document/container/program/mokuhyo/pdf/mokuhyo000.pdf

<この記事を書いた方>
横内 美保子 さん

横内 美保子 さん

博士(文学)。総合政策学部などで准教授、教授を歴任。専門は日本語学、日本語教育。
留学生の日本語教育、日本語教師育成、リカレント教育、外国人就労支援、ボランティア教室のサポートなどに携わる。
パラレルワーカーとして、ウェブライター、編集者、ディレクターとしても働いている。
画像

執筆 オクトノット編集部

NTTデータの金融DXを考えるチームが、未来の金融を描く方々の想いや新規事業の企画に役立つ情報を発信。「金融が変われば、社会も変わる!」を合言葉に、金融サービスに携わるすべての人と共創する「リアルなメディア」を目指して、日々奮闘中です。

感想・ご相談などをお待ちしています!

お問い合わせはこちら
アイコン