はじめに:「17%」の見ている景色
2022年に行われたある調査(※1)によると、高等学校で公民・家庭科を教える教員のうち、「金融教育」につき公的機関によるサポートが十分だと感じているのは、全体で3割、特に金融リテラシーの高い教員では17%程度にとどまったといいます。
この結果をよく考えてみると、不思議ではありませんか?
本来であれば、金融をよく理解している教員ほど、提供されているサポートの価値を理解し、満足度が高いはず。しかしながら、実際は逆だった。
実は、この「17%」にこそ、重要な示唆が含まれているのではないでしょうか。
金融を理解しているから、何が足りないかが見える。教材のどこが使いにくいか、講師派遣のどこに限界があるか、生徒に本当に必要なのは何か、それらの解像度が高い。一方で、金融にまだ慣れていない教員は、「とりあえず教材があるし、講師も来てくれるから、ひとまず安心」となってしまう。
専門性が高まるほど、課題が明確に見えてくるにもかかわらず、その声が届きにくい。まずは、ここから議論を始めましょう。
(※1)株式会社QUICK「QUICK 、「高等学校における金融教育の意識調査2022」を公表~金融教育の授業形式、現実と理想にギャップ~ ~学校側の積極性と教員の意欲の有無で、生徒の関心・興味に2倍の差~」(2023年3月16日):
https://corporate.quick.co.jp/news/press/quick-、「高等学校における金融教育の意識調査2022」を/
この結果をよく考えてみると、不思議ではありませんか?
本来であれば、金融をよく理解している教員ほど、提供されているサポートの価値を理解し、満足度が高いはず。しかしながら、実際は逆だった。
実は、この「17%」にこそ、重要な示唆が含まれているのではないでしょうか。
金融を理解しているから、何が足りないかが見える。教材のどこが使いにくいか、講師派遣のどこに限界があるか、生徒に本当に必要なのは何か、それらの解像度が高い。一方で、金融にまだ慣れていない教員は、「とりあえず教材があるし、講師も来てくれるから、ひとまず安心」となってしまう。
専門性が高まるほど、課題が明確に見えてくるにもかかわらず、その声が届きにくい。まずは、ここから議論を始めましょう。
(※1)株式会社QUICK「QUICK 、「高等学校における金融教育の意識調査2022」を公表~金融教育の授業形式、現実と理想にギャップ~ ~学校側の積極性と教員の意欲の有無で、生徒の関心・興味に2倍の差~」(2023年3月16日):
https://corporate.quick.co.jp/news/press/quick-、「高等学校における金融教育の意識調査2022」を/
①教育現場の景色:教室で何が起こっているのか

架空の事例から考えてみます。
とある高校で家庭科を教える佐藤先生は、今年から資産形成・運用のテーマも担当することになりました。佐藤先生は料理や被服が専門で、株式投資なんて自分でもやったことがありません。
しかし、学習指導要領には「資産形成の視点にも触れるようにする」と書いてありますし、すでに研修が提供され、教材も配布されています。
そして、今日の授業が始まります。
複利とは何か、リスクとリターンの関係、分散投資の考え方、NISAの仕組み。これらを説明し、具体例を示し、SNSやChatGPTを使いこなす生徒からの質問に答える。
50分の授業が終わりに差しかかったころ、生徒から「じゃあ先生は何に投資してるんですか?」と聞かれました。どう答えればいいのでしょうか。
授業が終われば、次は保護者面談や部活動の指導をこなして、夜には明日の授業準備。そういえば、金融経済教育の研修もそろそろ受けなければ……。
先ほどのQUICK社の調査によれば、2022年時点で「資産形成・運用」テーマに苦手意識を持つ教員は33.3%、家庭科教員に限ると38.5%に達すると言います。3人に1人以上が、「自信がない」と感じながら教えているのです。
そして、彼ら・彼女らが金融知識を得るための最大の障壁は「知識の修得、情報収集を行う時間的な余裕がない」(※2)こと。授業準備・部活・保護者対応・事務作業などなど、研修を受ける時間も、教材を吟味する余裕もないのです。
さらに、授業時数の問題もあります。別の調査(※3)では、授業時数(授業の時間数のこと)が「足りない」と感じている教員が75.5%。うち79.5%の教員が、その理由を「現行の教育計画にその余裕がないため」としています。学習指導要領で定められた内容を、限られた時間の中で、何を優先して教えるか—その判断が現場に委ねられてしまっているのではないでしょうか。
なお、教員の7割以上が「金融教育は重要」だと思っているのにもかかわらず、学校として積極的に取り組んでいるのは4割弱にとどまっていることが、これも前掲QUICK社調査で明らかにされています。教員個人としては「やりたい」と思っていても、学校が「やれる」環境を作れていない。一連の調査結果から、山積する課題や、何よりも先生方の悲痛な叫びが浮かび上がってくるのではないでしょうか。
(※2)NPO法人 日本FP協会「【金融経済教育の浸透に課題】約9割の教員が金融経済教育の必要性を実感するも生徒への浸透率は1割強」(2024年7月31日):
https://www.jafp.or.jp/about_jafp/katsudou/news/news_2024/files/newsrelease20240731.pdf
(※3)金融経済教育を推進する研究会(事務局:日本証券業協会)『高等学校(教員・生徒)における金融経済教育の実態調査報告書』(2023年9月):
https://www.jsda.or.jp/about/kaigi/chousa/kenkyukai/image/houkoku_20230927.pdf
とある高校で家庭科を教える佐藤先生は、今年から資産形成・運用のテーマも担当することになりました。佐藤先生は料理や被服が専門で、株式投資なんて自分でもやったことがありません。
しかし、学習指導要領には「資産形成の視点にも触れるようにする」と書いてありますし、すでに研修が提供され、教材も配布されています。
そして、今日の授業が始まります。
複利とは何か、リスクとリターンの関係、分散投資の考え方、NISAの仕組み。これらを説明し、具体例を示し、SNSやChatGPTを使いこなす生徒からの質問に答える。
50分の授業が終わりに差しかかったころ、生徒から「じゃあ先生は何に投資してるんですか?」と聞かれました。どう答えればいいのでしょうか。
授業が終われば、次は保護者面談や部活動の指導をこなして、夜には明日の授業準備。そういえば、金融経済教育の研修もそろそろ受けなければ……。
先ほどのQUICK社の調査によれば、2022年時点で「資産形成・運用」テーマに苦手意識を持つ教員は33.3%、家庭科教員に限ると38.5%に達すると言います。3人に1人以上が、「自信がない」と感じながら教えているのです。
そして、彼ら・彼女らが金融知識を得るための最大の障壁は「知識の修得、情報収集を行う時間的な余裕がない」(※2)こと。授業準備・部活・保護者対応・事務作業などなど、研修を受ける時間も、教材を吟味する余裕もないのです。
さらに、授業時数の問題もあります。別の調査(※3)では、授業時数(授業の時間数のこと)が「足りない」と感じている教員が75.5%。うち79.5%の教員が、その理由を「現行の教育計画にその余裕がないため」としています。学習指導要領で定められた内容を、限られた時間の中で、何を優先して教えるか—その判断が現場に委ねられてしまっているのではないでしょうか。
なお、教員の7割以上が「金融教育は重要」だと思っているのにもかかわらず、学校として積極的に取り組んでいるのは4割弱にとどまっていることが、これも前掲QUICK社調査で明らかにされています。教員個人としては「やりたい」と思っていても、学校が「やれる」環境を作れていない。一連の調査結果から、山積する課題や、何よりも先生方の悲痛な叫びが浮かび上がってくるのではないでしょうか。
(※2)NPO法人 日本FP協会「【金融経済教育の浸透に課題】約9割の教員が金融経済教育の必要性を実感するも生徒への浸透率は1割強」(2024年7月31日):
https://www.jafp.or.jp/about_jafp/katsudou/news/news_2024/files/newsrelease20240731.pdf
(※3)金融経済教育を推進する研究会(事務局:日本証券業協会)『高等学校(教員・生徒)における金融経済教育の実態調査報告書』(2023年9月):
https://www.jsda.or.jp/about/kaigi/chousa/kenkyukai/image/houkoku_20230927.pdf
②金融機関の景色:ビジネスと教育のあいだで
次に、金融機関に目を移してみましょう。
例えばみずほ証券は、早稲田大学教育総合研究所と共同で、金融経済・学校教育・金融実務を踏まえた教材の開発・改良や、教室での授業実践活動を行っています(※4)。学校現場の時間不足の対応も踏まえ、消費者教育やキャリア教育、主権者教育など学校が取り扱いやすいテーマと併せて学べる工夫を行ってきたとのことです。
野村グループが無償で行っている出張授業「まなぼう教室」では、全国の学校に講師を派遣し、長年にわたって金融教育プログラムを提供しています (※5)。同社は他にも、無償の学習教材や、さまざまな年代に向けた書籍を出版しています。
三井住友フィナンシャルグループも教材開発に力を入れています。「教育版マインクラフト」を活用した教育機関向け金融経済教育教材「クエスト・オブ・ファイナンス」は、ゲーム形式で学べるコンテンツを学校関係者に無償で提供しされています(※6)。
このような取組を見ていくと、金融機関が本気で「次世代の金融リテラシー向上に貢献したい」と考えていることが伝わってきます。
しかしながら、金融機関は同時に、ある構造的な緊張関係の中にいるとも言えるのではないでしょうか。
金融機関は営利企業です。株主がいて、業績目標があり、四半期ごとに結果を出さなければなりません。この点、金融経済教育への投資は、短期的には収益に直結しません。もちろん、10年後や20年後に「あのとき学校で話を聞いた人が、うちの顧客になるかもしれない」—そのようなこともあり得るかもしれませんが、いかんせん長期的な話です。
CSR(企業の社会的責任)として取り組んだとしても、その予算にも限界があります。「今年も金融教育に○千万円使いたい」「でも、直接的な効果は測定できない」—この説明を、何度も繰り返すことになります。
さらに難しいのは、「中立性」の問題です。
学校に講師を派遣し、生徒に分かりやすく投資の仕組みを教える。ここまでは良いとしても、その後、生徒から「具体的に何に投資すればいいんですか?」と聞かれたら? 「NISA口座はどこで開けばいいんですか?」と聞かれたら?
教育と営業の境界線。これを明確に引き続けることは、想像以上に難しいのではないでしょうか。
もちろん、政府もこの課題は認識しています。J-FLEC(金融経済教育推進機構)の前身である金融広報中央委員会が設置した「金融経済教育推進会議」でも、「関係団体が、広く国民全般に対して金融経済『教育』としての活動を展開し、かつ信頼を得ていくためには、営業活動と明確に区別されたものとする必要がある」として、講演会やセミナー、出前授業などで、特定の商品や特定の業者の取引を行うことを勧めてはならない、などといったガイドラインを定めています(※7)。
それにもかかわらず、どれだけ配慮したとしても、「結局、将来の顧客獲得のためでは?」という声は消えないように思われます。前掲日本FP協会の調査によれば、「金融経済教育をする人・組織」に求める資質として、約3割の教員が「公平・中立性」を挙げています。これは、個々の金融機関の誠実さとは無関係に、「教育とビジネス」の狭間で構造的に生まれる要素ではないでしょうか。
この疑念は、何よりも金融機関の担当者を苦しめます。本当に教育に情熱を持っているにもかかわらず、その営利性ゆえに、その情熱が疑われてしまう。どれだけ誠実に取り組んだとしても、「企業だから」という理由で、一定の距離を置かれてしまう。
金融機関にとって、金融経済教育は「やりたいこと」と「やるべきこと」、そして「疑われてしまうこと」が複雑に絡み合った領域、つまり「公益性」と「営利性」が交わる領域なのではないでしょうか。
(※4)早稲田大学教育総合研究所「早稲田大学教育総合研究所とみずほ証券との産学連携で取り組む 教育現場に届ける金融経済教育」(2025年3月28日):
https://www.waseda.jp/fedu/iase/news/2025/03/28/2255/
(※5)man@bow[まなぼう](野村ホールディングス・日本経済新聞社)「野村の金融経済教育」:
https://manabow.com/classroom/
(※6)DX-link(三井住友フィナンシャルグループ)「お金に関する知識をゲームで学ぶ「クエスト・オブ・ファイナンス」。SMBCグループが目指す金融経済教育の未来」(2024年11月21日):
https://www.smfg.co.jp/dx_link/article/0160.html
(※7)金融経済教育推進会議 第3回(2014年6月3日)資料7「関係団体が金融経済教育活動を行う場合の中立・公正性確保に関する考え方」:
https://www.shiruporuto.jp/public/document/container/suishin/pdf/20140603/shiryou7.pdf
例えばみずほ証券は、早稲田大学教育総合研究所と共同で、金融経済・学校教育・金融実務を踏まえた教材の開発・改良や、教室での授業実践活動を行っています(※4)。学校現場の時間不足の対応も踏まえ、消費者教育やキャリア教育、主権者教育など学校が取り扱いやすいテーマと併せて学べる工夫を行ってきたとのことです。
野村グループが無償で行っている出張授業「まなぼう教室」では、全国の学校に講師を派遣し、長年にわたって金融教育プログラムを提供しています (※5)。同社は他にも、無償の学習教材や、さまざまな年代に向けた書籍を出版しています。
三井住友フィナンシャルグループも教材開発に力を入れています。「教育版マインクラフト」を活用した教育機関向け金融経済教育教材「クエスト・オブ・ファイナンス」は、ゲーム形式で学べるコンテンツを学校関係者に無償で提供しされています(※6)。
このような取組を見ていくと、金融機関が本気で「次世代の金融リテラシー向上に貢献したい」と考えていることが伝わってきます。
しかしながら、金融機関は同時に、ある構造的な緊張関係の中にいるとも言えるのではないでしょうか。
金融機関は営利企業です。株主がいて、業績目標があり、四半期ごとに結果を出さなければなりません。この点、金融経済教育への投資は、短期的には収益に直結しません。もちろん、10年後や20年後に「あのとき学校で話を聞いた人が、うちの顧客になるかもしれない」—そのようなこともあり得るかもしれませんが、いかんせん長期的な話です。
CSR(企業の社会的責任)として取り組んだとしても、その予算にも限界があります。「今年も金融教育に○千万円使いたい」「でも、直接的な効果は測定できない」—この説明を、何度も繰り返すことになります。
さらに難しいのは、「中立性」の問題です。
学校に講師を派遣し、生徒に分かりやすく投資の仕組みを教える。ここまでは良いとしても、その後、生徒から「具体的に何に投資すればいいんですか?」と聞かれたら? 「NISA口座はどこで開けばいいんですか?」と聞かれたら?
教育と営業の境界線。これを明確に引き続けることは、想像以上に難しいのではないでしょうか。
もちろん、政府もこの課題は認識しています。J-FLEC(金融経済教育推進機構)の前身である金融広報中央委員会が設置した「金融経済教育推進会議」でも、「関係団体が、広く国民全般に対して金融経済『教育』としての活動を展開し、かつ信頼を得ていくためには、営業活動と明確に区別されたものとする必要がある」として、講演会やセミナー、出前授業などで、特定の商品や特定の業者の取引を行うことを勧めてはならない、などといったガイドラインを定めています(※7)。
それにもかかわらず、どれだけ配慮したとしても、「結局、将来の顧客獲得のためでは?」という声は消えないように思われます。前掲日本FP協会の調査によれば、「金融経済教育をする人・組織」に求める資質として、約3割の教員が「公平・中立性」を挙げています。これは、個々の金融機関の誠実さとは無関係に、「教育とビジネス」の狭間で構造的に生まれる要素ではないでしょうか。
この疑念は、何よりも金融機関の担当者を苦しめます。本当に教育に情熱を持っているにもかかわらず、その営利性ゆえに、その情熱が疑われてしまう。どれだけ誠実に取り組んだとしても、「企業だから」という理由で、一定の距離を置かれてしまう。
金融機関にとって、金融経済教育は「やりたいこと」と「やるべきこと」、そして「疑われてしまうこと」が複雑に絡み合った領域、つまり「公益性」と「営利性」が交わる領域なのではないでしょうか。
(※4)早稲田大学教育総合研究所「早稲田大学教育総合研究所とみずほ証券との産学連携で取り組む 教育現場に届ける金融経済教育」(2025年3月28日):
https://www.waseda.jp/fedu/iase/news/2025/03/28/2255/
(※5)man@bow[まなぼう](野村ホールディングス・日本経済新聞社)「野村の金融経済教育」:
https://manabow.com/classroom/
(※6)DX-link(三井住友フィナンシャルグループ)「お金に関する知識をゲームで学ぶ「クエスト・オブ・ファイナンス」。SMBCグループが目指す金融経済教育の未来」(2024年11月21日):
https://www.smfg.co.jp/dx_link/article/0160.html
(※7)金融経済教育推進会議 第3回(2014年6月3日)資料7「関係団体が金融経済教育活動を行う場合の中立・公正性確保に関する考え方」:
https://www.shiruporuto.jp/public/document/container/suishin/pdf/20140603/shiryou7.pdf
③政府の景色:なぜ、金融「経済」教育なのか

ところで、政府の公式文書を見ると、「金融教育」ではなく「金融経済教育」という言葉が使われています。
J-FLECの根拠法である「金融サービスの提供および利用環境の整備等に関する法律」(平成12年法律第101号)では、同法における金融経済教育は「適切な金融サービスの利用等に資する金融又は経済に関する知識を習得し、これを活用する能力の育成を図るための教授及び指導」と定義されており、わざわざ「金融又は経済」と書かれています。
なぜ「金融教育」に「経済」が加わるのか。これには、おそらく次のような理由があるものと推測されます。
まず、「金融教育」だと、預金、保険、投資信託といった金融商品の知識に焦点が行きがちになる点が挙げられるでしょう。そうではなく「金融経済教育」とすることで、お金を切り口に社会や経済の仕組みを学ぶ教育であることが示せます。
また、「投資の社会的意義の強調」という側面もあるかもしれません。「金融教育」だと、投資は個人の資産形成、つまり自分が儲けるため、という印象を強くしてしまうのではないでしょうか。この点、「金融経済教育」であれば、「投資する→企業が成長する→雇用や賃金が増える→経済全体が良くなる」という好循環を、教育内容に自然に組み込むことができます。投資は自己利益だけでなく、経済・社会への参画だという全体像を教えることができるのです。
その他、「文化的な抵抗の回避」の文脈もあり得るかもしれません。現代日本では、どうしても「お金の話は下品・タブー」という暗黙のルールが立ちはだかります。「金融教育」よりも「金融経済教育」の方が、お金(儲け)の話だけでなく、経済の仕組み、社会との関わりという広い文脈で語れます。
なお、金融経済教育は、2023年12月の「資産運用立国実現プラン」(※8)などを通じた「資産運用立国」と連動している、という点も押さえておく必要があります。日本の家計金融資産約2,200兆円の半分以上が現預金として眠っている中、これを投資に回せば、「成長と分配の好循環」を生み出す。まさに、金融を通じて我が国「経済」の成長と国民の資産所得の増加につなげるための国家戦略の一部です。
この意味において、政府にとって金融経済教育とは単なる知識の普及にとどまらず、国家戦略の重要なピースでもあるのです。
(※8)金融庁「資産運用立国について」(2025年7月24日更新):
J-FLECの根拠法である「金融サービスの提供および利用環境の整備等に関する法律」(平成12年法律第101号)では、同法における金融経済教育は「適切な金融サービスの利用等に資する金融又は経済に関する知識を習得し、これを活用する能力の育成を図るための教授及び指導」と定義されており、わざわざ「金融又は経済」と書かれています。
なぜ「金融教育」に「経済」が加わるのか。これには、おそらく次のような理由があるものと推測されます。
まず、「金融教育」だと、預金、保険、投資信託といった金融商品の知識に焦点が行きがちになる点が挙げられるでしょう。そうではなく「金融経済教育」とすることで、お金を切り口に社会や経済の仕組みを学ぶ教育であることが示せます。
また、「投資の社会的意義の強調」という側面もあるかもしれません。「金融教育」だと、投資は個人の資産形成、つまり自分が儲けるため、という印象を強くしてしまうのではないでしょうか。この点、「金融経済教育」であれば、「投資する→企業が成長する→雇用や賃金が増える→経済全体が良くなる」という好循環を、教育内容に自然に組み込むことができます。投資は自己利益だけでなく、経済・社会への参画だという全体像を教えることができるのです。
その他、「文化的な抵抗の回避」の文脈もあり得るかもしれません。現代日本では、どうしても「お金の話は下品・タブー」という暗黙のルールが立ちはだかります。「金融教育」よりも「金融経済教育」の方が、お金(儲け)の話だけでなく、経済の仕組み、社会との関わりという広い文脈で語れます。
なお、金融経済教育は、2023年12月の「資産運用立国実現プラン」(※8)などを通じた「資産運用立国」と連動している、という点も押さえておく必要があります。日本の家計金融資産約2,200兆円の半分以上が現預金として眠っている中、これを投資に回せば、「成長と分配の好循環」を生み出す。まさに、金融を通じて我が国「経済」の成長と国民の資産所得の増加につなげるための国家戦略の一部です。
この意味において、政府にとって金融経済教育とは単なる知識の普及にとどまらず、国家戦略の重要なピースでもあるのです。
(※8)金融庁「資産運用立国について」(2025年7月24日更新):
ファイナンシャル・ウェルビーイング実現に向けた「異なる物差し」と「同じ思い」

金融経済教育は、「日々の暮らしの中での判断を、社会全体の流れと結び付けられるようにするもの」だと捉えることもできます。
この場合、金融の制度や商品の名前を覚えることは手段にすぎず、あくまで自分の選択を自分の言葉で説明できるようになることがゴールのひとつと考えることはできないでしょうか。それは例えば、なぜ今そのお金を貯めるのか、なぜその保障が必要なのか、なぜこの会社にお金が回ると自分たちに返ってくるのか、まで具体的なイメージを持って語れるような状態です。
前節までに見てきたとおり、金融経済教育に関わるプレイヤーは、同じ方向を見ながらも、手にしている物差しが少しずつ違います。政府は、金融経済教育による金融リテラシーの向上という果実が「どこまで届いたか」という広がりを、あたかも地図のように見ます。金融機関は、「説明に誤りがないか」という確かさを顕微鏡で確かめます。そして学校の先生がたは、「教室で本当に届いたか」を子どもたちの点数のみならず、表情や沈黙の長さなどで測ります。
どれもまっとうで、かつ互いを否定するものではありません。しかしながら、授業の時間は一回あたりおよそ50分。説明を厚くすれば活動は薄くなり、扱う範囲を広げれば定着の確認は短くなります。
見取り図として、「量」と「正確さ」と「生徒の納得」の3点を結ぶ三角形を置いてみましょう。授業や教材は、その三角形のどこかに重心が寄ります。
「17%」という小さな違和感は、失敗の証拠ではなく、見える範囲が広がったサインだと読めます。視野が広がるほど、噛み合わない箇所は細部で気づきます。少数の声を脇に置かず、三角形のどこで視界が重なり、どこで離れるのかを教えてくれる指標として扱うことが重要です。
物差しが違うという現実を前提に、同じ目的地へ向かうための地図を静かに整えることこそが、金融経済教育の成功、ひいては国民のファイナンシャル・ウェルビーイング(※9)の実現に資するのではないでしょうか。
政府、金融機関、学校の先生、これ以外のアクターも存在し、それぞれの思慮が混ざり合って行われる現在の金融経済教育。生徒が将来の生活を豊かにするために、職業や就職先を考えるのと同様に、金融商品の選択や経済活動の方向性を考えられるような土台を作れるような金融経済教育が必要です。そのために、金融リテラシーの高い教員が十分であると考えること、不足していると考えることの分析が必要なのかもしれません。
(※9)J-FLECによれば、「自らの経済状況を管理し、必要な選択をすることによって、現在及び将来にわたって、経済的な観点から一人ひとりが多様な幸せを実現し、安心感を得られている状態」を指す
この場合、金融の制度や商品の名前を覚えることは手段にすぎず、あくまで自分の選択を自分の言葉で説明できるようになることがゴールのひとつと考えることはできないでしょうか。それは例えば、なぜ今そのお金を貯めるのか、なぜその保障が必要なのか、なぜこの会社にお金が回ると自分たちに返ってくるのか、まで具体的なイメージを持って語れるような状態です。
前節までに見てきたとおり、金融経済教育に関わるプレイヤーは、同じ方向を見ながらも、手にしている物差しが少しずつ違います。政府は、金融経済教育による金融リテラシーの向上という果実が「どこまで届いたか」という広がりを、あたかも地図のように見ます。金融機関は、「説明に誤りがないか」という確かさを顕微鏡で確かめます。そして学校の先生がたは、「教室で本当に届いたか」を子どもたちの点数のみならず、表情や沈黙の長さなどで測ります。
どれもまっとうで、かつ互いを否定するものではありません。しかしながら、授業の時間は一回あたりおよそ50分。説明を厚くすれば活動は薄くなり、扱う範囲を広げれば定着の確認は短くなります。
見取り図として、「量」と「正確さ」と「生徒の納得」の3点を結ぶ三角形を置いてみましょう。授業や教材は、その三角形のどこかに重心が寄ります。
「17%」という小さな違和感は、失敗の証拠ではなく、見える範囲が広がったサインだと読めます。視野が広がるほど、噛み合わない箇所は細部で気づきます。少数の声を脇に置かず、三角形のどこで視界が重なり、どこで離れるのかを教えてくれる指標として扱うことが重要です。
物差しが違うという現実を前提に、同じ目的地へ向かうための地図を静かに整えることこそが、金融経済教育の成功、ひいては国民のファイナンシャル・ウェルビーイング(※9)の実現に資するのではないでしょうか。
政府、金融機関、学校の先生、これ以外のアクターも存在し、それぞれの思慮が混ざり合って行われる現在の金融経済教育。生徒が将来の生活を豊かにするために、職業や就職先を考えるのと同様に、金融商品の選択や経済活動の方向性を考えられるような土台を作れるような金融経済教育が必要です。そのために、金融リテラシーの高い教員が十分であると考えること、不足していると考えることの分析が必要なのかもしれません。
(※9)J-FLECによれば、「自らの経済状況を管理し、必要な選択をすることによって、現在及び将来にわたって、経済的な観点から一人ひとりが多様な幸せを実現し、安心感を得られている状態」を指す




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